text for active

これは私が実践認識論として作品に向き合う行為の中の一つ(active)について書いたものである。
私は一本の色糸を一つの個として選択することを数千〜数万回行うことによって、個の集合体としての一つの世界を形成させるが、ここでは意識的に色糸を選択をする。
意識的な選択はコントロールを目的としたものではない。私の個人的な意図に関係無く色糸は一つの個としてその色を主張している。選択の段階で把握していた意図は、集合体になった世界を前にしても同じものだろうか。 それは同じものかもしれないし、同じものではないものかもしれない。
世界はただそこにあって、他者(自分以外の自分とは異なる何か)はただそこにいて、こうしている間にも世界は変化しているし、私も変化している。試しに自己の認識を置いてみようか。それは現実の全てであり、それだけが現実の全てではない。
そこではあらゆることが同時に起こっている。
私たちが世界に足を踏み入れる時、世界とはもともとそういうものなのかもしれない。